絶対見たい!おひな様
第9代藩主の奥方・鉄姫様の享保雛
美倉町・渡邊家のお雛様は、雛の収納箱に「天保九年浄雲院様御遺物」と書かれています。
「浄雲院様」とは、第9代藩主・六郷政恒(まさつね:1822~1848在任)の奥方様で、伊勢の
長島藩主・増山正寧(まさやす)の五女、鉄姫様です。
鉄姫様は、天保9(1838)年、藩主が28歳の時にお亡くなりになり、江戸にある六郷家の菩提寺
万隆寺に葬られました。
渡邊家のお雛様は、この「浄雲院様」の御遺物として殿様のおられる本荘の地に運ばれたものと思われます。
雛は、高さ約50cmの大型の享保雛で、気品のある顔立ちに、男雛は束帯、女雛はあでやかな唐衣を重ね、
大きくふくらむ赤い袴を身につけています。
女雛の檜扇は失われてしまいましたが、男雛は鳳凰の柄頭をもつ太刀を差しています。
〔展示会場:修身館(本荘公園内)〕
時岡家のお雛様
美倉町には、かつて浄土宗鎮西派の名刹であった修験寺院の貴法山常覚寺がありました。
時岡家は、その常覚寺の系譜を引く修験者でした。お雛様は、時岡家に嫁入りされた時のもので、
箱書きには、「明治二己巳年八月吉日 高橋嘉平衛」と記されています。江戸時代の終わり頃から
明治時代の初めに制作されたと思われるこれらのお雛様は、古今雛の伝統を引く清楚な顔立ちと、
澄んだまなざしがとても印象的なお雛様です。
〔展示会場:修身館(本荘公園内)〕
第11代藩主の娘・賀子様の古今雛
永泉寺(ようせんじ)所蔵のお雛様は、第11代藩主 六郷政鑑(まさあきら:1861~1869在任)
の娘の賀子(よしこ)様のご結婚の際にお祝いとして贈った古今雛です。
平成10年に賀子様の御子孫の方により永泉寺に寄贈され、雛のお里帰りとなりました。
二組の内裏雛と五人囃子を含め、37体の人形と200余りの雛道具の数々が残されています。
雛道具は、姫様に関わる道具のほとんどがミニチュアで再現されており、黒漆に牡丹唐草の
金蒔絵が施された精緻なものです。お雛様だけではなく、これらの雛道具のひとつひとつもご覧ください。
〔展示会場:本荘郷土資料館〕
鈴木家の御殿雛
表尾崎町・鈴木家所蔵のお雛様は、京都御所の「紫宸殿(ししんでん)」を模して作られた御殿雛です。
御殿は、中央の本殿と渡り廊下でつながる脇殿、そして五人囃子のいる奏楽殿の三殿からなり、屋根には
16弁の菊花の紋章が施されています。
鈴木家では、皇室に仕えた方への御下賜品と伝えられています。
御殿本体は、桐を材料に綿密に製作された多くの部材によって構成され、骨組みには捻組(ねじぐみ)
という高度な組手の手法が使われ、釘を使用することなく全体を支えています。
木工業を営む鈴木家にこの雛が残されたのも、縁があってのことと思われます。
〔展示会場:本荘郷土資料館〕
第6代藩主の娘・於豊様の雛
加藤家所蔵のお雛様は、第6代藩主・岩城隆恕(たかのり:1782~1817在任)の娘、於豊様のお雛様です。
岩城隆恕には、子供が18人おり、於豊様は12番目の子供だったのですが、その誕生を祝って江戸から
持参した雛と言われています。
3段目の「猩猩(しょうじょう)」という赤い顔の人形2体が珍しい。
〔展示会場:亀田八十八美術館〕
藤田家の享保雛
藤田家は、幕末に本荘から転住し、藩政時代の城下である矢島町館町で薬種商・呉服太物商を営んだ商家、
小川屋です。矢島藩家老小助川家の姓から助の字を抜いた「小川」を屋号としました。
男雛・女雛ともに袖を横に張り、装束は金襴・錦を用いているなど、享保雛の特徴がよく表れているこの雛は、
男雛の冠が金色であることから、享保雛の中でも初期(江戸時代中期)のものであると言われています。
〔展示会場:矢島郷土資料館〕
須貝家の古今雛
須貝家は、貞享3(1686)年に酒田から転住し、酒田屋と号して酒造業を営みました。
町役の要職を重ね、延享3(1746)年頃からは、藩主が外出した際に休息等のために
立ち寄る家である本陣となりました。
そうした須貝家には、矢島9代藩主生駒親章の奥方(寿姫)の実家である喜連川家の
二引両紋が施された雛道具が伝わっています。他にも、喜連川家紋入の基盤、生駒家家紋
入の重箱も伝わり、これらの品々は、本陣の家格として生駒家とのつながりが濃かったことが伺えます。
〔展示会場:矢島郷土資料館〕